今、この瞬間を生きる彼女達

ADHDのウチの娘も事前の心や体、物事の事前準備ができない。常に行き当たりばったりでその瞬間瞬間を生きている状態だ。
瞬間瞬間を生きていると書くと単語のニュアンスとして非常に綺麗な印象を受けるが実は全く違う。

ADHDの人から見ればとても疲れる生活であり、とても苦痛に感じるかもしれない。

彼女達の生きづらさは想像してもわからないほどに大変だと思う。

(本人は生まれつきだからどう思っているのかわからないが…。)


事前に自分が行動するであろう予測や予想ができないウチの娘は今のこの時間に起きてた事の全てをその場で処理している。
常にその場で処理するが故に一つ一つの作業で躓き時間が掛る。そもそもやりたくない興味の無い作業の途中に急に目に付いたものや耳から入ってきた情報で意識がとらわれしまったり、その中でも楽しいと思う情報が入るとそれに意識が傾き手をつけてしまい没頭してしまう。一度はやる事を決めて取りかかったとしても途中で次々と違う情報が入ると、それを遮断することができず、どんどん注意力が低下する。刺激が強い新しい事がインプットされると直ぐに優先順位が変わってしまうのだ。
ちなみに自分が興味のある事であれば他の情報を遮断して驚くほど集中してキレイにスムーズに作業する。しかし興味がない作業をしているときは極端に適当になり、だらしなくなってしまう。このだらしない時の頭の中は常に新しい刺激的な情報を欲している状態だ。

彼女達は新しい情報が入ってきた時点で直ぐに頭の中が別の事に切り替わってしまう。特に嫌な事、興味がないことに対して我慢して最後まで自力でやり遂げるという事が非常に困難なのだ。

事前の準備と言うことは先読みや予測であり、これは空気を読むといった事につながる。彼女たちが空気が読めない、読むのが下手、自己中心的と言われる理由は常に瞬間瞬間を生きており、その途中で違う事へ注意が向いてしまう事が影響している。

集中にしても注意散漫状態のいずれにしても感じる時間の長さが変わる。常に感じる時間が違う為、時間がどの位の速さで流れていくのかがつかめない。興味が無い事を最後までやり遂げた経験が少なくどの位の時間が掛かるといった事やどの位のクオリティーで仕上げられるといった見積が難しいのだ。
逆算ができず、流れる時間に身を任せ、興味の有無で時の流れる速さが極端に変わる。

気が付けばもう時間が過ぎており、間に合わないとか遅刻するという事が多々あるのだ。